絶望記念日

勤続20年に及ぶ正社員だったけど、会社の業績不振を理由に解雇され、その後は再就職もできずに先に不安を感じる毎日を送る。

残酷な子供たち

性同一性障害の友人と街を歩いていていつも思う。

 

小学生くらいの子供とすれ違うたび、すれ違いざまに彼女を見た子供たちは、良くて異物を見るような目で眺めるか、立ち止まって彼女を指差してヒソヒソやるか、指を刺して「おネエだ!」とゲラゲラ笑うなど、どう考えても名誉毀損と思われるような行動をとる。

 

タチが悪い者は、彼女を追いかけて顔を覗き込み「なんだ、おネエかよ!」と叫んだり、ひどいときは道端に落ちている物を拾って彼女に投げつけたりと、あきらかに暴行と思われるような行為をする者もいた。

 

もちろん、この子たちに教育している連中が、そのようにしろと教えているのだろうが、満14歳未満は罪に問えないため捕まえるわけにもいかないし、注意でもしようものなら、こちらが児童福祉法違反か何かの罪に問われてしまう。

 

彼女がトイレに入った際、彼女は余計なトラブルを避けるために「誰でもトイレ」を利用するが、たまに彼女が入るのを見た子供が、見えやしないのに隙間から覗こうとしたり、無理矢理扉を開けようとしたりと、落ち着いて用も足せないことがある。

 

彼女はちゃんと戸籍も女性に変えているので、この行為は婦女暴行にあたるらしいが、今の子供はトランスジェンダーには人権がないという教育を受けているらしい。

 

彼女はそれでも力強く生きているが、時々負けそうになることもあり、僕は相談を受けた際、自分のことは棚に上げて「頑張れ」と罪深い決まり文句を言う。

 

正直、彼女とは理由が違うが死にたいのは僕も一緒だ。

 

過去に僕は、性同一性障害のシンポジウムに出た後、それらの人たちとともにOFF会に出席したことがあるが、終了後に駅まで皆で歩く途中、数名の小学生らしき子供たちから「オカマ!」とか「気持ち悪いぞ!」などと激しく罵声を浴びせられ、そのなかの一人が「ウザい、消えろ!」と道端に落ちていた空き缶を投げつけてきたことがある。

 

僕らはその子供たちを蹴散らしたが、その後、駅までその子供たちの保護者と思われるご婦人たちから執拗に追い回され、被害を受けたはずの性同一性障害者たちが、攻撃してきた小学生とその保護者らに詫びることになってしまった。

 

少数派、特に外見がひと目でLGBTとわかる者には人権がないらしく、街で何をされてもじっと息を潜めて生きなくてはならないらしい。

 

特に子供ほど残酷で、今の子供たちは余程LGBTが嫌いなのか、あるいは死んで欲しいのか、あるいは消滅して欲しいのか、何だかよくわからないが、ひとつだけ言えることは、大人と違ってはっきりと態度に示してくることだろうか。

 

しかし、相手が傷つくことなどお構い無しに攻撃してくるあたり、やはり今の子供ほど残酷なものはなく、その攻撃に耐えながら生きるのは辛すぎる。