絶望記念日

勤続20年に及ぶ正社員だったけど、会社の業績不振を理由に解雇され、その後は再就職もできずに先に不安を感じる毎日を送る。

「しつけ」は「児童虐待」という意味

今でこそ社会問題になるようなことだが、僕が子供の頃は、いわゆる「しつけ」と称された児童虐待は当たり前だった。

 

「しつけ」を受けるのに理由は無く、子供は、それこそ子供だから何もわからないのに、大人たちはわからないことが腹立たしいらしい。

 

親に捨てられた僕は、幼少から小学校2年生頃まで親戚の家を転々としたが、どこの家でも当然、僕は「居候」か「邪魔なタダ飯喰い」という存在でしかなかったわけで、行く先々で「しつけ」と称してそれなりの扱いを受けた。

 

食事はいわゆる「粗食」で、家によって粗食の内容は異なるものの、たいていは僕のその時の年齢や成長に見合った食事を与えられることは無く、僕は常に栄養失調状態だったが、大人たちにしてみれば、「食わせてもらえるだけありがたく思え」という「しつけ」だった。

 

「しつけ」のおかげで空腹すぎた僕は、お腹を満たすために野草を食べるようになり、そのために何度も胃腸を壊し、その後遺症は精神的なものも含めて現在も残っている。

 

衣服は下着も含めて、それぞれの親戚の家の子達の「お古」の寄せ集めで、ひどいものは破れてツギハギだらけだったりサイズが全く合わなかったり、僕は男子なのに女子用のお古を与えられたりしたが、それでも「着せてもらえるだけありがたく思え」という「しつけ」だった。

 

入浴は、預けられる家によってバラバラだったが、どこの家も二週間に一度から月に一度程度しか風呂に入らせてもらえず、夏などは身体が臭うこともあり、臭うからと家から出されてしまうので公園の水飲み場で身体を洗うことが多かったが、これも「しつけ」の一環だったらしい。

 

「しつけ」による栄養失調のおかげで発育不良だった僕は、他の子よりも身体が小さく、そして「しつけ」のために不潔でボロボロの服を着た僕は、ほぼ「乞食」か「家畜」という雰囲気だったが、それでも僕は「しつけ」のためなので我慢するしかなかった。

 

「しつけ」に耐えられなければ、わずかな食事すらも与えてもらえず、ひたすら餓えるしかなかったから。

 

僕の身体の傷は、成長に伴い大人になる頃までには綺麗さっぱり消えたが、心の傷はいまだに消えることは無く、通常は無いと言われる2歳半当時の記憶まで鮮明に残っている。

 

老人に近い年齢になった今だからこそ、こうして思い出しながら記述することができるが、数年前まではフラッシュバックに悩まされ続け、何度も自殺を考えたほどだった。

 

大人たちは「しつけ」と言うが、子供にとっては一生涯消えることのない心の傷を残すことになる。

 

今、「しつけ」に耐え切れずに死んでしまう子供が多いが、何のために、命を犠牲にしてまでしつけられなくてはならないのだろうか。

 

「しつけ」とは「児童虐待」のことであると、いいかげんに悟って欲しい。

 

何気ない大人からの「しつけ」で、一生残る心の傷を負わされる子供がいることを忘れないでもらいたい。