「絶望記念日」とは
「絶望記念日」とは、年に一度訪れる日のことで、他の人は誕生日と呼んでいるようだが、僕にとっては本来生まれてくるべきではなかった僕が、間違って生まれてきてしまったことを憂慮する日のことで、僕はこのまま生きていて良いのだろうかと考えさせられる日でもある。
僕は一体何のために生まれてきたのだろう、他人の踏み台になれなくなると同時に社会から締め出されたのだから、少なくとも「他人の踏み台」であったことは間違いない。
毎年そう考えながらも生き続けてしまった。
今、これを書いたきっかけは、ある日突然目がよく見えなくなり、このまま悪化したら文章を書くことすらも出来なくなると思い、幸い、現時点で文章が読み書きできないほどではないが、それでも倍以上の時間がかかってしまうので、さらに悪化したらと思うと、今のうちに思いを文章に残すことが良いと思った。
これまでの僕の最悪の人生を振り返り、文章に残そうと思う。